よんす。の旅。

野球一筋20年。ユニホームを脱いだ次はバックパックを背負い旅に出ます。

いろいろと少し考えてみた 後編の巻

 

 

 

 

みなさんこんばんわ

よんす。です

 

 

リアルタイムは6日夜9時

インドのブッタガヤという町にいます

 

 

 

昨夜しっかりと5時間遅れで出発した電車。

もちろん遅延を取り戻せる力はインド鉄道には無く

しっかりと5時間遅れでガヤ駅に到着したのは夜中の2時。

 

夜中の一人での移動は危険らしく

駅構内での野宿を余儀なくされました。

 

一応インドの鉄道駅の中には待合室があるのはあるんですけど

 

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こんな感じでもう人でごった返してるのです

 いちいち驚いたりはしないんですけど

いったいこの人たちはどこから来たんだと疑問ばかりが生まれます

 

この人達も列車が遅延しているからここで待っているのか?

それとも単にここを根城にしているだけなのか?

 

考えていてもしかたないので僕も眠るスペースを探し待合室をウロウロ。

 

僕基本的に旅で野宿したの空港ぐらいだったんです

基本的に野宿したくないんですね。

心が荒むような気がして笑

 

一番したくない野宿を

一番したくない国 インドでするというなんとも皮肉な話。

 

んで頭の上にホームレスのおばちゃんの足。

足の下にはホームレスのおじさんの足。

世界で一番挟まれたくないものに挟まれることに。

 

ただ驚いたのが

しっかりと熟睡した自分が朝にいたこと。

 

んーーー

成長した!!笑

特に意味の無い成長を実感した瞬間でした笑

 

っていう昨夜の話。

 

 

 

 

 

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ガンジス川について

ヒンドゥーについては前回の記事でざっくり書かせてもらいました

 

 

 

ヒンドゥー教徒の人生の目的。

輪廻転生からの解脱。

 

 

ヒンドゥー教だけでなく

仏教

イスラム

キリスト教

ユダヤ教

そのほかにも世界には多くの宗教があります。

 

 

それぞれに信仰している神があり

それぞれに人生の目的があります

 

 

もちろん無宗教の人も世界中に多くいます

 

どの宗教の人も

無宗教の人も

人間に生まれた以上

人生の目的があるはずです

 

なんで産まれたんだろう

なんで死ぬんだろう

 

生きるってなんだろう

死ぬってなんだろう

 

なんで生きるんだろう

 

人生に意味ってあるんかな

 

 

そんなこと一度は考えたことがあると思います。

 

 

 

無宗教の人が多い日本人は特に。

 

ただそれはあくまでも社会的な部分を考えることがほとんどだと思います。 

 

 

 

中米で出会ったある友達がぽろっとこんなことを言っていました

 

「最近自己啓発本とか自己啓発セミナーとか流行ってるじゃないですか?

ああいうのって日本でしか需要ないですよね?

だって宗教がある人ってその宗教の教えのもとに生きていくし死んでいくし

だから無宗教の日本人ってそういう根本的な教えとか支えが無いから

すぐ迷ったり悩んだりすると思うんです。

だからそういう意味でいうと日本人にとってそういう自己啓発本とかって

キリスト教でいう聖書みたいなもんになってんちゃうかなって思うんです。」

 

 

僕はこの発言かなり的を得てるなって思いました。

 

 

 

僕はクリスチャンです。

ですが旅に出る前は信仰心がそれほど強くなく

聖書もきちんと読んだことないし

勉強もきちんとしたこともないです。

 

だから胸を張って自分はクリスチャンって言えない部分がありました。

 

旅を通して

様々な宗教に触れ

多くの教会を訪れ

少し自分と向き合っていくうちに

心の奥に微かですが信仰心が生まれた瞬間がありました。

 

だから自分の運命、使命、目的はキリスト教のもとにあるのかなって

思うようになりました。

 

宗教的な部分で言うとですよ!

 

 

ただ今のところ上にあげた3つの答えは見つけれていません。

見つかるものでもないのかなって思う節もあります

 

でもこの旅が終わってから

そのあとに続く人生という旅の中で探しながら生きていこうって思ってます。

 

 

 

 

今の状態の僕では

ヒンドゥー教の輪廻転生も解脱も知識としては知れても

理解をするのは難しいです

 

 

それはヒンドゥー教を否定しているわけではありません。

心の底から同意が出来ないだけです。

 

多分人生の中でほんとに心の底から同意できる瞬間が訪れたら

迷うことなく改宗するでしょう

 

そんなことはありえませんが。

 

 

でもヒンドゥー教徒のように誰もが強い信仰心を持つことが出来れば

少し日本も変わっていくんかなって思うのも確かです。

 

何を信じるかは人の自由です。

それは誰にも否定できないもので

強制するものでも無いと僕は思っています

 

 

でも何か信じるものがあれば

少なくともひとりひとりの人生に目的が生まれると思います。

 

 

 

宗教とは

どう生まれ

どう生き

どう死ぬ

 

つまり人生そのもの

なのかなって思います

 

自分の信仰心

人々の人生の目的。

 

そんなものをガンジス川を眺めながら少し考えてみました。

 

 

 

 

それともうひとつ。

 

インドにはカーストの中にも

アウトカースト

不可触民

と呼ばれる人が多くいます。

 

ふさわしくない言葉で言うと

奴隷以下

の人

 

 

奴隷にすらなれない人達は

物乞いに頼らないと生きていくことが出来ません。

 

現在もまだまだ根強く残るインド・カースト社会には

ほんとうに多くの物乞いがいます。

 

世界経済の中において次なる中国と期待されるインドですが

尋常じゃない貧富の差があり

ほんとうに多くの物乞いがその日の食べモノを探し

彷徨っています

 

 

インドを旅していて多くの物乞いが僕に駆け寄ってきては

モノを食べる仕草をして

「食べものをください」

「お金をください」

と懇願してきます。

 

 

お年寄りから赤ん坊を抱えた幼女まで。

 

 

でも僕が彼らに何かをあげることは基本的にありません。

 

 

 

じーっと観察していると

僕のようになにもあげない人もいますし

何かあげる人もいます。

 

 

ちなみにインド人はカースト、輪廻転生の考えのもとで

お金や食べ物を分け与える人が結構います。

 

だから物乞いも分けてもらえて当然と思ってる人もいるらしいです

 

 

それは置いといて

物乞いに対する価値観はほんとうに人それぞれだと思います。

 

それこそ否定・肯定はお門違いだと思います。

 

 

僕が彼らに何もあげないのは

僕がその時その子に何かを恵んだところで

なにも変わらない

と思っているからです。

 

これは僕の価値観ですからね

 

僕が彼らに少量のお金を与えたところで確かに彼らの今日という日は乗り切れるかもしれません

 

でも明日になったらまた元に戻ります。

 

根本的な部分が変わらない

 

のであれば中途半端なことはしちゃいけないのかなって思ってます

 

海外旅行者の僕が中途半端なことをするわけにはいけませんし

 

 

今の僕にはどうすることも出来ない

と思っているから僕は彼らになにもしません。

 

 

ここブッタガヤがあるビハ―ル州というところは

インドで最も貧困だと言われている場所です。

 

今日到着して

町を歩いていると

すぐに5、6人の子どもが寄ってきます。

 

食べ物をください

飲み物をください

 

デリーやバラナシの子供たちとは比べ物にならないぐらい

貧しい恰好をしています。

 

追い払ったあと

少し考ました。

 

なにかあげてもよかったかな?

なんであげへんかってんやろ?

 

一人にあげたら全員にあげなあかんからあげへんのか?

根本的な解決にはならんからあげへんのか?

 

おれは彼らに何もあげないことで何か守ってるんか?

 

仮に何かを守ってるとしたら?

自分のルール?

財布?

 

しばらく考えてみましたが答えはわかりませんでした。

 

 

僕を見つけたらすぐに飛んでくる子供たち。

こうなったのは以前に訪れた人たちが彼らに何かを分け与えたから。

 

だから彼らには

外国人=ものをくれる

というイメージがあるのです

 

その考えは彼らが社会的に自立する可能性をどんどん減らしていっています。

 

彼らが自立していくために必要なのは

僕があげる食べ物ではなく

誰かがあげるお金でもなく

彼ら自信の意思だと思います。

 

年々変化していくインドの中で彼らが自立できる道は絶対に見えてくるはずです。

 

それを示すのは僕ではなく

旅行者でもなく

インドという国であるべきだと思います。

 

 

ここに書いてきた僕の考えに同意する人もいれば

反対する人もいるでしょう。

 

はたまた無関心な人もいるでしょう。

 

でもどっちでもいいんです

 

結局は自分の世界でしか生きていけないんですから。

 

ただ僕はこうして世界を旅して

少しですが違う世界を見てきて

知っている世界が増えて

だからこうして考えるきっかけをもらえました。

 

このブログを通して少しでも僕が感じたこと

考えたことを共有できればと思います

 

 

 

宗教はどっちかというと自分自身の内側のこと

 

貧困などは自分自身の外側のこと

 

 

またどこかで話すことがあればその時は

日本酒でも飲みながらじっくり語り合いましょう。

 

 

 

 

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ガンジス川付近

オレンジの服を着ている人はサドゥーと呼ばれる

放浪しながら修行をしている人です。

 

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沐浴をするサドゥー

 

彼は輪廻転生から解脱するのでしょうか

 

 

今いるブッタガヤはブッタが悟りを開いた場所として知られていて

インドにおいては珍しく仏教の寺院がたくさんあります

 

その中に日本寺がありました

 

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久しぶりの日本っぽい風景で一息ついていると

現地の小学生っぽい集団が社会見学的な感じでぞろぞろとやってきました。

 

気づいたら周りを囲まれ

f:id:lee444soo333:20171107002659j:plain記念撮影笑。

みんな写真に納まろうとぐいぐいきます。

 

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両隣の子は女の子なんですけど

この無表情からすると僕の体臭がきつかったのかな。。。

 

 

 

こんな感じのこともあり

少しずつインドがなぜ人を魅了するのかわかってきた気がします

 

 

 

 

 

 

 

 

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本日も最後までお読みいただきましてありがとうございます

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すごい長くなりましたが読んでいただいてありがとうございました

 

コメントでもいいですし

メールでもいいですし

反応を頂けますとありがたく思います

 

 

 

それでは

 

 

 

なますてーーーー