近代史上最悪の虐殺 ~序章~の巻
みなさんこんばんわ
よんす。です
リアルタイムは4日夜11時
セルビアってどこ?
って感じですよね笑
マケドニアが独立し
ボスニア・ヘルツェゴヴィナが独立し
残るセルビアとモンテネグロがユーゴスラビア連邦共和国を成立しましたが
しばらくしてモンテネグロが独立したため
残ったセルビアもそのまま独立国家となりました
とりあえず色んな国と接してる国です
今日も元気に1クリックお願いします!!!
さて
今日のブログはタイトルにもありますように
少し暗めの内容です
隣国のポーランドへと向かいます
ポーランド最大の目的地
「アウシュビッツ強制収容所」
さすがにこの名前は聞いたことありますよね
ご存知の方の中には
「えっ アウシュビッツってドイツにあると思ってた!」
って人もいるかも知れませんが
実はポーランドにあるんです
ポーランドのオシフィエンチムという町をドイツ語で読んでアウシュビッツ。
声に出すのも文字を読むのも嫌がるそうです
そのオシフィエンチムで一体なにがあったのか。。。
人類史上最大最悪の悲劇は皮肉にも市民の手によって始まったのです。
~政治への関心度の低い同世代へ何かのきっかけになったらと思います~
簡単に説明すると
時は第一次世界大戦終焉
敗戦国となったドイツ。
戦勝国に領土を大幅に取られ、多額の賠償金を請求されます。
そんな中、世界中を襲った「大恐慌」
アメリカやイギリス・フランスはこの恐慌を乗り切るために
ある政策を行います
その政策とは自国や植民地、自治領、つまり内輪だけで貿易を行って
経済の活性化を図るというものです
外国製品には多額の税金をかけて。
でもこの政策はおっきな国土やたくさんの領土が無いと出来ません
この政策に悩まされたのが
そう
ドイツ
イタリア
ピーンと来ました?
日独伊三国同盟ですよ
イタリアは第一次世界大戦の敗戦国では無いのですがこれといって領土はありませんでした
ドイツも同様、敗戦国であるがため減っていく領土、支払えない賠償金、
それに加えて貿易では多額の税金。
国民は
「誰か早くどうにかしてくれ!!」
と強いリーダーを求めるようになります
その中で生まれたリーダー
ドイツ アドルフ・ヒトラー
イタリア ベニート・ムッソリーニ
ドイツ、イタリア両国民はこのリーダー達に国の再建を託します。
この二人の共通して言える政治思想が
「ファシズム」
簡単に言うと独裁政治によって軍事力を強化し海外進出を狙う
と言ったもの。
今世界を騒がせているどっかの国みたいですね
そしてドイツがついに動き出します
1937年 東方に拡大政策をとることを宣言。
翌年オーストリアを併合。
当時工業の盛んだったチェコスロバキアも併合。
お次はポーランドかなと思っていた時に
イギリス、フランスがポーランドと安全保障条約を結びます
ドイツからすると挟み撃ちになる状態
西にはイギリス・フランス
これはさすがにやばいと思いソ連とある条約を結びます
「独ソ不可侵条約」
このころのソ連は日本と緊張状態であったためドイツと日本との挟み撃ちを避ける狙いがありました
この条約を結んだドイツはポーランドへ侵攻します
これに対しイギリス・フランスはだまっちゃいません
これにて第二次世界大戦勃発。
ドイツはデンマーク、ノルウェー、オランダ、ベルギー、そしてフランスをも降伏させる快進撃。
フランスの降伏によりイギリスは孤独の戦いを強いられることに。
イタリアはこの快進撃を目の当たりにし勝ち馬に乗ろうと
日本は長引く日中戦争の打開策として
ここに日独伊三国同盟が結ばれます
ドイツの次なる狙いはイギリス。
ですがアメリカが連合国への武器の援助を始めたことにより
中々ドーバー海峡の制空権を奪えません、
この時方向転換して狙いを
「ソ連の石油資源」
にシフトします。
えっ?
独ソ不可侵条約は?って感じですよね
ドイツはこの不可侵条約を一方的に破棄。
ソ連へと侵攻します。
これにブチ切れるソ連。
ソ連の反撃と強烈な寒さにより苦戦を強いられます。
ナチス・ドイツはドイツ人いわゆるゲルマン民族こそが優れた民族であり
その他の民族は排除すべき
という非常に危険な思想でした。
そして独ソ戦をきっかけにその思想は実践されることになります
ゲルマン民族以外の民族を排除するために
既に侵攻が完了していたヨーロッパ各地からユダヤ人、ロマ族、スラブ民族
また民族に関係なく、排除すべき思想を持っていると思われた人間を一か所に集めます。
その場所こそ
なぜこの場所だったのか
理由は単純。
ヨーロッパの中央に位置しており
各地方から人間を集めるのに地理的に適していたから。
そこで何が行われたのか
長くなってしまったので次以降へ。
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記事の内容はかなり端折っており
かつ
少し皆様の認識とは異なっているかも知れませんが
あくまで僕の個人的見解でありまして
それが事実、真実であるとは言えませんので
どうぞ誤解のないよう。
次の記事もよろしくです
ポツダム宣言 の巻
みなさんこんばんわ
よんす。です
全然ブログ更新してなくてご心配おかけしてるかも知れませんが
えっ?
お前のこと心配してる暇なんかないって?
そんなこと言わずに読んでくださいよー
僕はいたって健康に過ごしてます
ハンガリーでは日本人宿にお世話になってますが
ここがまー居心地がいいのなんの
シェア飯あり
漫画あり
管理人が底抜けに良い人でめっちゃ居心地がいいのです
おかげで2泊延泊しちゃいました笑
ですが気づけば10月に入ってるではないか
旅もう終わるがな
まだヨーロッパやがな
ってことで再び動き出します
目指せインド!!
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もはや上位への熱は氷点下です笑
ただ
読んだよー
って証に1クリックしていただけると大変ありがたいです
時は遡りましてドイツ
ベルリンから日帰りで行ける場所に
「ポツダム」
という都市があります
「ポツダム」
社会の授業を普通に受けてた人やったら分かりますよね
電車で45分
ぼけーっとしてたらすぐに着きました。
駅から各見どころまでは少し遠いのでレンタサイクルをすることに
公共の交通機関を使う手もあったんですけど
ドイツをサイクリングするってなんか渋いじゃないですか笑
これが大正解!
ドイツの町並みを自転車で回るのはとても気持ちが良いのです笑
道も歩道、自転車用と分かれており走りやすい環境なのです
最初の目的地
サンスーシ宮殿
ドイツの歴史はまだ勉強不足ですが
知る人からしたら眉唾物の宮殿らしいです
まー
こんな黄色の宮殿あったら心惹かれるのもわかりますけどね
宮殿の庭園
宮殿の近くに風車があるんですけど(写真あげれず)
この風車は宮殿が完成した当初は宮殿の外観を損ねるってことで取り壊そうとしたらしいんですけど
農夫が壊さないでと嘆願しなんとそれを王が聞き入れた為、今なお残っています
っていうどうでもいいストーリー。
そして目的地の場所
「ツェツィーリエンホーフ宮殿」
一回じゃ絶対言えないこの宮殿が
あのポツダム会談が行われた場所です
もともとは宮殿で王族のものだったんですけど
王子が亡命したために国のモノに
そしてドイツが第二次世界大戦に敗れ
ベルリンの損傷が激しすぎた為この場所で会談が行われることになりました
外観
が訪れた同じ場所にいると思うと
鳥肌が
たちません笑
湖の畔にあるし宮殿っていうよりは別荘って感じですね
ここが会議が行われた場所
当時のまま
ここはさすがに鳥肌たちました
肘掛け椅子に首相、大統領が座り
両隣を外務大臣などの参謀が座りました
これが当時の写真
これはかなり鳥肌もんでした
まさに時代の節目の場所
この会議で敗戦国をどうするかどうか
まだ降伏していなかった日本をどうするか
などの話を長時間にわたって行ってたのです
日本語ガイドもあって音声聞きながら当時の風景を想像します
元祖BIG3
ベルリンの壁しかり
ポツダムしかり
かなり戦争への知識が深まりました
ここを訪れることによって戦争についてほんといろいろ思うことあったんですけど
もう
願いはひとつですよね
平和
ですよね
でも前にも書きましたけど
世界平和
って絶対実現しないと思います
色んな意味で。
でも
少しでも流れる血が減るように
無差別に奪われる命が少なくなるように
その一歩目って
無関心から踏み出すことじゃないかなって思います
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移動間隔が短かったり
宿での時間が楽しかったりするとついブログが後回しになっちゃいます笑
この記事が丁度85記事目なので(よく書いたと思いませんか?笑)
キリの良い100記事目でゴールを目指そうと思います
これからもよろしくね
それでは
よんす。
ベルリンの赤い雨 の巻
みなさんこんばんわ
ドイツに入ってからやたらと「ベトナム人か?」と間違われる
よんす。です
リアルタイムは26日 夜7時ポーランドのクラクフという町にいます
日本にいるとあんまりポーランドって聞き馴染みがないですよね
実際日本人もあんまり見かけませんし
ポーランドからは
どっちかっていうとメジャーではない国を回る予定です
俗にいう旧ソ連国ですね
なんでそんな国を回るのかって?
物価が安いからだよ
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さて
今日の記事は僕が回ってきた国の中でも数少ない先進国
「ドイツ」の話です
まー
いうても二泊三日の
しかもベルリンだけの滞在でしたけど
スペインからドイツまで飛んだわけですけど
その間にある国
イギリスやオランダ、ベルギーなど
その辺の国も正直行きたかったんですよ
でも何故行かなかったかって?
物価が高いからだよ
ドイツもベルリン以外にも
ミュンヘンとかフランクフルトとか行ってみたい都市もあったんですよ
なんで行かんかったかって?
金無いからだよ
もういいか笑
ベルリンに訪れた訳はひとつです
「ベルリンの壁を見たい」
だけです
動機は
小学生のころ読んだ漫画「キン肉マン」で
ブロッケンJr.が繰り出すこの技
キン肉マンってプロレス漫画なんですけど
なぜかブロッケンJrの必殺技だけ普通のチョップ笑
しかもこのチョップ尋常じゃないほどの威力なんです笑
普通に相手の体切り刻んだりしますからね笑
彼の父はブロッケンマンという超人でしたが
胴体を真っ二つにされるんです。。。
おっと
話が逸れた
時は遡り第二次世界大戦後
敗戦国となり連合国に全ての権限を奪われたドイツ
以下かなり端折ります
~連合国軍~
「さて ドイツやけど今後どうしてく?」
「んー とりあえず併合する?」
「どこが?」
「そうやなー」
「んなとりあえず四分割しとこか」
的なやりとりが行われてました
(主に っていうかほぼすべて米・英・ソによって)
話し合いを進めるも資本主義の米・英に対して社会主義のソ
中々まとまらずに結果出た結論が西側は米英が管理して
東側はソ連が管理するというもの
この時ドイツという国が二つに分けられました
そのなかでベルリンは
「首都やしお互いの中間地点ってことにして西側は米英、東側はソ連ね」
よく間違われるらしいですけど
ベルリンの壁ってドイツの真ん中を区切ってたんじゃなくて
東ドイツの中にあるベルリンを区切ってたんです
北朝鮮で例えると
平壌が南北で分かれて南側は韓国みたいな感じです
ってな流れで進んでいきます
そして日本が降伏し
これにて第二次世界大戦が終焉を迎えましたが
その後米英とソ連が今後の意見の方向性で真っ二つに対立します
そして次第に西ベルリン、東ベルリンの人々の暮らしにも差が生まれてきます
西側は資本主義なのである程度の自由が認められていく中
東側はいつまでたってもソ連に振り回されてばっかり
格差は見る見るうちに表れます
東側に暮らしていた人はより良い暮らしを求めて西側に移っていきます
「あかん こんままやと人おらんようなるで」
冷戦真っ只中だったソ連からするとなんとしても阻止しておきたい行為
そこで出た行動が
「よし 壁作ろ」
ってな具合で壁が建設されます
驚くことに一晩で
一晩ですよ一晩
朝起きたらこれですよ
恐ろしいですよね
いきなりあっち側には行けません
あっち側におる家族にも会えません
ですからね
んで
しましたがこのままやとお互い損するだけやってなって
冷戦が終わり
ドイツに統一の時が訪れます
同時にベルリンの壁も破壊されました
統一したものの当時のことを忘れないようにと一部ではありますが
壁は現在も残っているのです
それを見学に行ってきました
壁の一部
今もなお南北で分かれている朝鮮半島
韓国による統一の願いを込められて送られたモニュメント
統一の願いが込められています
壁
現存する壁が一番長く残っているところ
この場所には1.3キロの長さに渡って壁が続いています
崩壊後国内外のアーティストによって書き換えられた壁
中には日本人が手がけたものも
この絵は以前にも同じ絵が描かれていたらしいんですけど
ものすごい量の韓国への、日本への誹謗中傷落書きがあったため
書き直されたっぽいです
ここまで来てつくづくあほな民族
当時のソ連代表 ブレジネフと東ドイツ代表のホーネッカのアツいキス
そしてここが
当時の東西のチェックポイント
なんと記念撮影まで出来ます
僕はしませんでしたが
このベルリンの壁が崩壊したのは1990年でまだ30年も経っていません
この壁に対する感情や意見もまだまだリアルに残っています
僕はドイツの国政に対して知識は0ですが
ドイツ国民の中には壁があったほうが良かったと思っている人もいるそうです
国のあり方とか
そんなスケールのでかいことを考えるほど僕は知識人ではありませんが
こと
「歴史」
に関していうとすべての人間が関心を持たなくてはいけないことだと思います
こうして振り返ってみると学生時代は歴史なんてただの暗記モノ
ぐらいにとらえていました
みなさんもテストで点をとるためのモノぐらいしか思ってなかったんじゃないでしょうか
それがこうして足を運び
目で見て
肌で感じ
より深く学ぶことで
やはりその重要性を認識します
僕が旅中に感じたことのひとつに
「自分の無知さ」
というものがあります
小学生のころから野球にだけ打ち込んできた為に
勉強をおろそかにした結果
こうして無知の自分が出来上がったわけです
かといって別に歴史っていうジャンルは知らなくても生活になんら影響は及ぼしません
ですが
知っていて当たり前のことを知らないことは恥ずかしいってことに気づきました
それと同時に勉強する楽しさ
知識を増やす喜び
を肌で知ることが出来ました
日本における歴史への関心度の低さ
=
現政治への関心の低さ
に繋がっている気がします
国籍は置いといて
自分が住んでいる国に関心がないということはあまりにも
恥ずかしいことです
ってちょっと旅してるからってイキッた記事書いてみました
何回かはこんな記事続くと思うのでよろしくお願いします笑
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いっつもほぼ思い付きの殴り書きブログなので
文章としてのまとまりに欠けてますけど
なんか伝わったらなと思います
気づけば9月ですね
ポーランドの今朝の気温は9度でした
この9カ月あまりで何回四季が回ったか分かりません笑
アジアに行けばまた暑いんやろなー
じゃまた
よんす。
天才の成せる業 の巻
みなさんこんばんわ
よんす。です
リアルタイムは21日夜12時
ドイツのベルリンにいます
なんだかんだこの旅も24か国目に突入しました
まー
別に行った国の多さとかはどうでもいいんですけどね
スペインを出たことでお別れしたものがあります
それは
「スペイン語」
思えば1月チリに着いた時は「オラ」しか知らなかったのが
8カ月経った今では英語よりも理解できるレベルになったのだから驚きです
(もともと英語のレベルもそれほど高くない笑)
旅をしながら独学を続け
これまでの旅=スペイン語
みたいな一面もあったように思います
やはり8カ月慣れ親しんだスペイン語とお別れするのは寂しいですし(たかが言葉)
せっかく聞きなれた&話しなれたスペイン語が今後聞けなくなるのは少し物足らなく感じるでしょう
ただいわゆるラテンアメリカを旅してきて新しい世界が広がったのは間違いないです
言語だけでなく
文化
人生観
その他
ラテンのパワーを身をもって感じましたし
今現在テロの恐怖の中にある世界を今後盛り上げていくのはラテンだと思っています
今後スペイン語が僕の生活にどう影響するのかは分かりませんし
なんならもっと勉強したいけど
まー
いろいろ考えていこうと思います
っていうかこれから英語中心になることでスペイン語能力が落ちるのがちょっと残念です
ま、でもこれからは英語頑張ろうと思います
前置き長っ
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今日の記事はバルセロナ
バルセロナといえば
真っ先に頭に浮かぶのは
「メッシのいるバルセロナFC」
って人はサッカー好きぐらいでしょう
多くの人の記憶に新しいのは
「バルセロナ テロ」
ではないでしょうか
スペインから距離のある日本だとどうしても
バルセロナ=スペイン
になり
「えっ スペインでテロあったん!?こわ!」
となってしまいますよね
ただ
スペインの首都マドリッドはほんとにテロあった国?
と思うほど町全体に緊張感や不安などの負の雰囲気は無く
人々は変わらず明るい表情で生活をしていました
強いて言うなら警察が増えたぐらいでしょうか
じゃあ当のバルセロナは?
と思い行ってみたのですが
マドリッドに負けないぐらい観光客は多いし
町全体も活気に溢れていました
バルセロナの町
スペインに総じて言えることは道が分かりづらい
あちこちで地図広げてくるくる回してる人ばっかり笑
コロンブスの塔
多くの観光客で賑わってました
実際にテロがあった通り
歩いてみて
「えっこの道?」
って思うほど。
この道を車が暴走したと思うと背筋が冷たくなりました。。
写真はテロで亡くなった方達へ手を繋いで祈りを捧げる学生たち
コロンビアで日本人が殺害された公園に行った時も
今回訪れたこの場所も
共通して感じたことは
想像することが出来ない恐怖や危険は想像もしない様な日常の中にあるということ
何も起きない毎日が当たり前ではなくなっていっているということ
その中で忘れては行けないのはやはり感謝の気持ちではないでしょうか
サグラダファミリア
僕は建築とかにはあまり関心が無いのですが
何かと話題になるこの建物
どんなもんかと行ってみました
ちなみにガウディのことも無知。
感想
ガウディってもしかして天才?
僕の写真で伝わるか分かりませんがとりあえず
外観
おおーーこれか!!
ていうか結構町中にあるのね笑
画になる夫婦
いや愛人かも知らん
内部
森をイメージしているらしい
この支柱はそれぞれが木
どうやって考え付いたかも想像できないほど色鮮やかなステンドグラス
こんな色彩を人間が考え出せることに感動です
内部その2
建築の素晴らしさに圧倒され言葉を失います
本物の森よりも生命のパワーを感じます
天井
まるで万華鏡を覗いたみたい
色鮮やかなステンドグラス
東側のステンドグラス
東側は暖色系を使用していて夕陽を浴びて幻想的な光を生み出してます
逆に西側は寒色系を使用していて
写真は日が暮れていた時に撮ったのでいまいち伝わりませんが
朝には朝日を浴びて1日の始まりにふさわしい爽やかな光がカテドラル内を包みます
永遠に眺めてられる
正面入り口の生誕のファザード
ここにはイエスキリストの生誕と幼少期が表現されています
裏側の出口の受難のファザード
こちらにはイエスキリストの苦難が表現されています
生誕のファザードからの眺め
旅の中で多くのカテドラルを見てきましたが
ダントツで一番素晴らしかったです
まー
でも
カテドラルは本来祈るための場所なので優劣を決める対象にはなりませんが
っていうかサグラダファミリアで礼拝とかしても
建築に夢中で集中できないでしょうね
そのためか地下にひっそりとした礼拝堂もありました
ガウディが没しても尚続く建築作業
完成予定は2026年だそう
自分が生きている内に完成出来ないものを想像するなんて
ザ・平民の僕には到底たどり着けない境地です
サグラダファミリアの他にも
バルセロナオリンピックの会場になった場所にも行ってきました
がらーん
メイン会場
ぽつーん
オリンピックの野球場とは言えないぐらい質素
ベンチ
ヨーロッパの野球関心度が垣間見えます
サグラダファミリアは完成するころにもう一度訪れたいと思えるほど
素晴らしい建物でした
おわり笑
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スペイン語でもなんとか通じましたが
ドイツ語はまったく理解不能です笑
しかもここから日本までの国は英語圏でもスペイン語圏でもないので
どうなることやら。。。
では健闘を祈ります笑
よんす。
ちょっくらポルトガル の巻
みなさんこんばんわ
よんす。です
かなりブログの更新が滞っていて
もしかして心配してくださってる方もいらっしゃるかもしれませんが
なんてことはありません
単に沈没(何もせずだらだらすること)
していただけです笑
知人のお家に居候をさせてもらってるのをいいことに
観光もそこそこに
だーらだらとしておりました笑
しかしその沈没に終止符を打ち
なんだかんだ1か月近く滞在したマドリッドを離れ
昨日バルセロナに来ました
そして明日の飛行機でドイツ ベルリンへと入り
そこから鬼の弾丸で東欧を制覇し
恐らく最後の難所であろうインドへと入ります
ブログもあと何回書くか分かりません
お気持ちだけでもポチッとよろしくお願いします。
リアルタイムは19日夜12時
スペインのバルセロナにいます
今日の記事はポルトガルへプチ旅行した時のお話です
スペインとポルトガルは同じ半島の中に隣同士にあり
スペインの首都マドリッドから
ポルトガルの首都リスボンまでバスで7時間程度で行けちゃいます
最初は行く予定の無かったポルトガルですが
そんなに近いならと行くことにしました
実はポルトガル
近年日本からの旅行者が増えているらしいです
テロが増えているヨーロッパ内でも
安全に旅行でき
世界遺産も多いこの国は日本だけでなく
ヨーロッパ中からも多くの観光客が訪れます
なので僕も主に世界遺産を求めて旅行することにしました
宿泊代と移動費の節約のため夜行バスで行くことにします
ポルトガル行きのバス車内
さすがにこの色は初めてや
こんなにも緑!
わからん笑
しかも隣に座ったおじさんのいびきがいかつすぎて全く眠れない
一睡もできないままリスボンに到着
僕は二泊三日というスケジュールなのでホステルに荷物を預けそのまま町へと繰り出します
まずはベレンの塔
ここはかつてポルトガルが大航海時代、海の覇者だったころ要塞の働きをしていた建物
の模型
国旗
真ん中がポルトガルの国旗
この国旗を見るとクリスティアーノ・ロナウドを連想しちゃいます
そのまま海沿いを歩いていくと
大航海時代と言われていたころ
まさにポルトガルの黄金時代の歴史を記念して作られた
「発見のモニュメント」
並んでいる像は世界の海へと乗り出した航海士や宣教師たち
中にはフランシスコザビエルも
そしてこの像の下には
このようにポルトガルが世界各地へ到達した年が書かれている世界地図が
日本には1541年の到達
日本はこのポルトガルの到達によって鉄砲が伝わり
戦国時代へと突入。
同じくしてザビエルによるキリスト教の宣教が始まる
世界の海を支配し
巨万の富を得た時代に建てられたものが
航海士のヴァスコ・ダ・ガマによってインド航路が開拓され
当時インドにしか無かった胡椒を大量に持ち帰り
その胡椒で富を得ます
なんとその胡椒が驚異の利益率260%を叩き出したので
危険をかえりみず多くの人が海へと出ました
それにしても260%て
その功績を記念してこの修道院の中にはヴァスコ・ダ・ガマの棺があります
厳粛。
花びらみたいな彫刻が胡椒の花をイメージして作られたらしい
中庭。
かっこよく撮ってみました
お次はサンロケ教会
ここは1584年、日本からの使節団が1カ月滞在した教会です
イエスズ会の本拠地だったところ
ちなみに日本の使節団は1582年に日本を出発し
二年半もの時間をかけてリスボンに到着しました
当時の使節団の目にはこの黄金時代の最先端の建物はどう映ったんでしょうね
そしてお次はぺナ宮殿
ここはドイツのノイシュヴァンシュタイン城と作りが似てるらしく
兄弟関係にあるらしい
知らんけど
王族達が食事をとっていたところ
こんなところでどんな料理を食べていたんだろうと
庶民代表の僕はついつい想像をめぐらしちゃいます
間違ってもキムチは出なかったでしょうね
ほんで
一番端にはそのモニュメントもあります
これ
ここから先は大西洋が広がっていて
コロンブスによる新大陸発見まではここが世界の果てだと思われていました
さぞ景色も壮大なんやろなと思ったら
霧!!!
なんも見えん
この写真は僅かなチャンスをものにした写真です
ま
こんな感じで二泊三日リスボンを堪能しました
学生のころはまったく関心の無かった世界史なのに
こうして実際に訪れることでかなり興味が湧きます
そしてスペインもそうですが
中南米では点だった歴史が
スペイン・ポルトガルにきたことで線となり
より強く理解が深まります
歴史っておもしろい!!
海はどこも綺麗
かっちょよく笑
じゃあ今日はこの辺で
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最後にポルトガルといえば
の路面電車。
これからは頑張ってブログ書きますので
引き続きよろしくお願いします
それじゃ
よんす。
スペインの地方ぶらーり の巻
みなさんこんばんわ
よんす。です
リアルタイムは11日夕方6時
スペインのマドリッドにいます
これから夜行バスでポルトガルに行ってきます
えーらいマドリッドおるなー
って思われたそこのあなた!!
その通り笑
快適過ぎてついついだらだらしてしまってました
が
それも今日で終わり!!
もう9月も半ば
帰国を12月の始めに定めているのでもう3か月も残っていません
なので
ポルトガル行って
バルセロナ行って
ドイツ
トルコ
と弾丸でヨーロッパを回り
その後インドへ飛び
中国
タイ
マレーシア
台湾
を電光石化の如し回り
帰国
の予定です
あと少しの応援よろしくお願いします
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ポチッとよろしくお願いします
でも
何もずっとマドリッドでだらだらしてたわけじゃないんですよ笑
今日の記事ではスペインの南の地方
アンダルシアと呼ばれている地方をかなりさくっと回ってきましたので
その内容です
スペインって地域ごとに町の特色がかなり異なっていて
北部のバスク地方は美食大国のフランスと近いこともあって食文化がかなり魅力的で
南部のアンダルシア地方はモロッコから近いことからイスラム文化と少し混ざっているので
趣のある街並みになっています
ちなみにどの地域にもカテドラルとバルは絶対あります
バルの雰囲気も
そこに訪れる人の雰囲気も地域によって少し違いがあったりするのでそういう部分も楽しめます
まずはセビージャという町
ここはスペイン第4の都市でフラメンコと闘牛の本場の町。
っていっても僕どっちも見てませんけどね笑
スペイン広場
半円形状に建物が広場を囲んでいます
夜
また違った雰囲気
僕以外家族orカップル。 慣れた。
ストリートフラメンコ。
演奏終わってもお金をせびってこないのがキューバとの違い
最近できた複合施設。
何よりもこの建築が素晴らしいです
ただこの建物を建築したのはドイツ人らしいけど
闘牛場。
残念ながらこの日は闘牛がなかったので見学できず。
闘牛も動物愛護団体のプレッシャーにより減少してきてるんですって
セビージャからバスを乗り継ぎグラナダという町へ
そこからレコンキスタが始まり
各地がキリスト教徒に奪回されていく中
イスラム教徒最後の楽園と呼ばれている町です
町並みがイスラム様式、キリスト様式の建物でミックスされてます
その中でも最大の見どころは
当時の スペイン=イスラム文化を象徴するような建物
グラナダの町並みを一望できます
ライトアップされたイスラム様式の建物が集まるエリア
中世にタイムスリップ
街灯と町並みがこんなにもマッチしているエリアはなかなかありません
永遠に居れそうな場所
スペイン第三の都市 バレンシア
ここは火祭りでも知られていて
また、パエリアが生まれた町です
でも僕パエリア食べてませんけどね笑
だって高いんだもん!笑
鉄道駅
プラットホーム
旅の始まりと終わり感がこれでもかって出てます笑
駅でたらこの風景
ドラクエの勇者になった気分
そしてマジョルカ島へ
ここは 地中海の楽園 と呼ばれていて
さむーいさむーい北欧圏に住んでる人や
ヨーロッパ中の人が太陽を求めてやってきます
カテドラル
今まで見て来たカテドラルで一番美しい内装でした
んで空港にいって後は前回の記事の通りです笑
訪れた地域それぞれが違った雰囲気をもっていて
歩いているだけで楽しめる街ばかりです
バルもいろいろ回ったんですけどタパスに特色が出てたり
さまざまなビール飲んだり
お喋りしたりと
一人でもかなり楽しめる場所ばかりでした
ただ
スペイン人って昼ごはんがメインで
夜はほんと少ししか食べない文化なんですね
食べてもビールとかワインのつまみにタパス
みたいな感じなんですけど
もう食文化は韓国と日本のゴリゴリミックスな僕は
出来れば三食お米、腹いっぱい食べたいんです
だからバル入ってタパス食べても結局最後にお米か麺系をほっします
だからお金がすんごいかかるんですよ
ビールは謎に安いから昼間からガンガン飲んでるんですけど
まー
そんな感じのスペインプチ旅でした
おもしろかったよー
とか
写真綺麗だねー
とか
思われた方は是非
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先日ある友人に
「スペイン入ってからブログの更新率悪いね笑」
って言われたんですけど
なぜかというと
スペインは先進国だけあって
あんまり旅っぽい面白いネタが転がってないんです笑
どっちかっていうと
っていうかがっつり旅行になっちゃってます笑
ま
それももう終わりさ
インドとか入ったら嫌でもネタだらけになると思うから
待っとけや!笑
それでは
よんす。
ちーん の巻
日本のみなさんおはようございます
よんす。です。
リアルタイムは7日の夜12時
スペインの離島 マジョルカ島 の
空港にいます
やっちゃいました
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さて
もういっかい言います
やっちゃいました!!!!
なにをやっちゃったかというと・・・・・
少し時は遡ります
スペインにはかの有名なパーティーアイランド イビサ島と
そこから少し離れたところにマジョルカ島という島があります
ひょんなご縁でマジョルカ滞在の日本人の方と知り合い
「スペインに来たらマジョルカに遊びに来てくださいね」
と嬉しいお誘いを頂いていました
マドリッドから飛行機で1時間半の距離にあるその島はヨーロッパ各地からも
バカンスで多くの人が訪れます
現在バケーションシーズン真っ只中のヨーロッパ
そのため飛行機代が少し高くなっています
例のごとくネットをあさりたおし
安いチケットを探すため血眼になってパソコンと睨めっこしました
本来なら週末に行く予定だったのですが
安いチケットが平日しかない為に
予定を変更し平日に行くことにしました
悪く無い値段でチケットを決済し
いざマジョルカに降り立ちます
誘ってくださった方とも無事にお会いでき
二泊三日という短い時間でしたがマジョルカを満喫して
マドリッドに戻るために空港に向かいます
バカンスシーズンなので空港のカウンターは人でごった返しています
ですが出発3時間前に到着した僕は余裕をもって列に紛れます
思いのほか列はすいすい進み
「さーて さくっとチェックインしてラウンジでビールでも飲みながら
タパスでもいただくとしますか。
マドリッド戻ったらそっからポルトガル行ってバルセロナ行ってーーー」
みたいな感じで今後の旅のスケジュールを考えていました
そこからの話は以下会話でお送りします
「次の人ーーー」
「はーーーーーい」
「パスポートください」
「はい」
「ふむふむ どこに行くの?」
「マドリッドに行きます」
「Eチケット持ってる?」
「Eチケットは無いけどメールならあります」
「見せて」
「はい」(ん?どうした?)
「・・・」
「・・・」(なに?)
「・・・・・」
「・・・・・・」(えっ なんか問題でも?)
「あなたの飛行機昨日ですよ」
「?」←何を言ってるか理解できていない
「だからあなたの予約している飛行機は昨日の便です」
「?????」(まだ良く分かっていない)
「ほら」
「!!!!!!!!!!!!」
「だから乗れないよ あそこにチケットカウンターがあるから振替できるか聞いて」
がびーーーーーーーーーん!!!!
ななななななんんと
僕
飛行機のチケットを購入する際値段に気を取られてすぎて
日付を間違えて買っていたのです
しかも今の今までそのことに気づかないっていうマヌケっぷり
とりあえずカウンターへ行きます
「すいません 間違えて昨日のチケット買っちゃったんですけど振替できますか?」
「無理ね 買いなおしてちょうだい 250ユーロね」
「!!!!」
あほか----------!!!!
もうちょっと出したら日本帰れる飛行機買えるやないか!!!!
「なんとか変更できませんか?」
「残念だけど無理ね」
ちーん
「あっ でも他にも何社かあるから聞いてみたらもっと安いチケットあるかも」
「分かりました」
そんで空港内を駆け回ったのですが当日のチケットはどれも激高。
っていっても次の日のチケットも高い。まだましやけど。
断腸の思いで次の日の高額チケットを購入。。。。
朝7時の便のため市内に戻るわけにもいかず
空港泊を余儀なくされました。
もーーーーー!!!!
ばかばかばかkばkばkばkbかbかkbかk!!!!
なんで確認せんかったんや!!!
っていうかそもそも
日付間違えるとかイージーミス過ぎてひく。
笑っちゃいましたよ
自分のあほさに。
西濃運輸の社訓の中に行動基本三原則ってのがあって
・安全第一
・基本に忠実
・確認の励行
ってあったのに
口酸っぱく言われてたのに
全く無駄な出費。
手痛い出費。
スペインは物価高いから
飯食うたびに財布と睨めっこして
ちょっとでも節約してたのに
全く無駄な出費
手痛い出費
まじで萎える
っていうか
ひく
どっかの角に頭ぶつけたい気分です
馬のうんこでも踏んづけたい気分です
っていうか叫びたいです
でも空港で叫んだら捕まっちゃうのでここで叫びます
うううううううおおうおうおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお
おれ死ね!!!!!!!!!!!!!!!!!
ふああああああぁぁぁぁぁぁxっつっつつつつつつつkっくkっくkkkっくうううう
はぁ。
落ち込む。。。
出費もそうやけど
なにより自分に腹立ちます
なんで確認せんかったんや
てか日付間違うとかまじであほ
あほあほあほあほあっほあほはおほほあほほはおほはお
っくうううううううううううううううううううううううううううう
でもあれですね
空港泊を余儀なくされましたけど
空港やから食べ物には困らんし水もあるし安全やし
意外と快適ですね笑
みたいな感じで開き直って
笑うしかない笑
っていうか
死ぬほど強い酒飲みたいです
んで
呑んで
呑んで
呑まれて
呑んで
呑んで
呑み潰れて眠るまで呑んで
やがて静かに眠ります
ここで
笑
空港内のキッズスペース!!!笑
完全なるホームのレス笑
夢にやしきたかじん出てこなやってられへんわ
はー
完全スペインきて気が緩んでました。
反省。
でも旅続けれなくなるとかじゃないので
胸に刻んで切り替えます
切り替えれるかなー笑
そゆことで
おやすみなさい
結構楽しんでます笑
夜中の空港ってなんだか楽しーー!!笑
みんなは確認の励行しっかりしてや
本日も最後までお読みいただきましてありがとうございます
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クリックしていただいた方に金銭的負担がかかるようなこともございません。
僕の単なる自己満です笑
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それじゃ
よんす。